真空管式ラジオ&テレビの製作

YOSHIRONが初めてラジオを作ったのは小学5年生の時です。
鉱石ラジオと呼ばれる物でアンテナコイルとコンデンサによる共振回路に検波器としてゲルマニウムの鉱石を使用した物です。同調用の可変コンデンサ(通称バリコン)などは無くコイルの1部のエナメルをヤスリで剥がしここに摺動子を当てスライドさせてLを可変する方式でした。中学1年生の頃に真空管式のラジオで「並四」(ナミヨン)と呼ばれる超再生方式のラジオを作りましたが、残念ながら写真が残っていません。


 真空管式ラジオ受信機の製作

1954年(中学3年生時)にST管と言うダルマ型の真空管を使用した高感度受信機を製作しました。


ラインアップは「高周波増幅&周波数混合、中間周波増幅2段、検波、低周波出力、電源整流」のスーパーヘテロダイン構成で当時としては高性能受信機でした。使用真空管は6WC5、UZ6D6、UZ6C6,6ZDH3、UZ42、KX80、それにマジックアイと呼ばれる同調状態表示管(6E5)の合計七本を使用しました。(上のキャビネット写真の右上に付いている半円型の表示装置がマジックアイです。)中間周波増幅用真空管にはアルミの筒型シールドケースが被せてあります。スピーカにはダイナミック型と呼ばれる高音質スピーカを採用しました。(当時はまだマグネチックスピーカと呼ばれるU字型の永久磁石を用いた物が普通でした。)ツマミは四個付いており電源スイッチ、音量調整、音質調整、選局ダイアルです。理科展覧会にて賞状を頂きました。


1957年3月25日完成
小・中学校同級生のMIKE(ミケ)さんより依頼され製作したセットです。製作日数2日間。ST管を使用した五球スーパー型ラジオ受信機です。


1957年4月30日完成
高校時代の同級生(GANPAさんより依頼セット)製作日数5日
ミニチュア管使用2バンド5球スーパー受信機です。この頃になると真空管もミニチュア管と呼ばれる親指程の大きさの物になり、増幅度も高く高感度受信機が実現できるようになりました。受信周波数はMWバンド525KHZから1605KHzとSWバンド3.5MHzから10MHZの切り替え式です。ダイアル機構はバーニアダイアルと呼ばれる微調整の出来るものです。シャーシーの裏側の写真(写真右端)には電源トランスに「山水」のマークが見えます。山水電気は当時はトランスのトップメーカーでした。またコイルと中間周波トランスは「トリオ」が、バリコンは「アルプス」が定番でした。真空管は国産品ではマツダ(現在の東芝)やNECそしてTEN(当時は神戸工業)などでした。このセットはシャーシーも穴ナシのアルミケースにドリルとシャーシーパンチと呼ぶ穴あけ器具で加工しすべて手作りで製作しました。

短波受信機 シャーシ 裏側


1958年4月11日完成
中学時代同級生のFUMIKOさんより依頼され製作した「2バンド型5球スーパー受信機」です。真空管の小型化と共にシャーシーやスピーカーなどもスマートになり省スペースラジオとなりました。また音量調整用ボリュームと電源スイッチが連動されツマミを一個へらすことが出来ました。電源兼音量、中波−短波切り替え、同調の三個のツマミが並んでおります。

ダイアルは糸掛け式で選局ツマミを廻すとバリコンが回転し同時に指針が周波数表示板の上端をスライドし目盛りを示す構造でした。文字盤はガラス板にカラー印刷したもので豆電球によるバックライト照明で夜間でもくっきりと見えました


1958年10月完成
自分のアマチュア無線受信用に製作した「高周波1段中間周波2段 9球式4バンド短波受信機」です。受信周波数は525KHzから30MHzです。このセットも既製の穴なしアルミケースを加工し製作しました。真空管は右下の写真で判るように高周波部分には周波数特性の良いミニチュア管を使用し中間周波、検波、オーディオ出力部にはGT管と呼ばれる筒型の真空管を採用しております。同調用バリコンは3連式でメイン同調用の他にスプレッドバリコンと呼ばれる微調整用の1枚羽根のローターが別に付いている物です。従ってダイアルツマミは2個付いており、正面パネル写真の左側がメインダイアルで右側に微調整用のダイアルとツマミがもう一つ付いております。左上には信号強度を示す「Sメーター」が見えます。


 
シャーシーの裏側は「トリオ製」のロータリースイッチによる4バンド切り替えのコイルキットが見えます。(写真上)トラッキング調整のためのセラミック製トリマーコンデンサが沢山並んでおります。このコイルキットの価格ははっきりと覚えてはいませんが、随分高価だった記憶があります。ダイアル機構はその後微調整の精度を上げるため下の写真に見られるようなバーニアダイアルに改良しております。
この受信機にはアマチュア無線用のBFO(BeetFrequencyOscillator)やノイズリミッターなどの付属装置も付いております。


  


この写真は昭和34年にアマチュア無線局「JAΦOC」を開局した時の記念写真です。写真左側の受信機の上にコイルキットの入っていたトリオの化粧箱が見えます。その上に見えるのがVFO(VariableFrquensyOscillator)です。左側のラックが送信機器群で上からアンテナカップラー、HF帯送信機、変調器、電源です。
(アマチュア無線に付いては次項をご覧下さい)





 真空管式テレビ受像器の製作

1959年5月製作 14インチモノクロテレビ受像器(東映無線14HK−200)
当時テレビを所有する家庭はごく1部でした。市販のテレビ受像器は高価で買えないため、秋葉原の東映無線より14インチの組立キットを購入し自分で組み立てました。チューナー部など主要部分は調整済みのキットであり、図面通りに抵抗器やコンデンサなどを半田付けするだけで出来上がりました。セットが完成したのは午前零時頃であり、期待と不安の交差するなかで恐る恐る電源を入れるとNHKのその日の放送終了の日の丸の旗が映った時の感動は今でもはっきりと覚えております。下の写真はその時のテストパターンです。
(NHKは放送終了のためSBC信越放送のテストパターンの写真を撮りました)

テレビの組み立てに挑戦テレビ受像機

 

ここまではすべて真空管を使用したセットです。最近はまた真空管の魅力に虜になった人達がリバイバルで真空管式アンプなど製作しております。秋葉原のラジオデパートでも真空管やトランスなどをずらりと並べているお店が沢山有ります。

 トランジスタラジオの設計
  

メーカーでの設計
1962年大学卒業後、当時花形の「トランジスタラジオ」の製造会社に就職し、設計課に配属となり12石4バンドのポータブルラジオの開発を担当しました。(12石とはトランジスタ12本を使用している意味で、当時はトランジスタの数が多いほど良い製品とされ、人気商品となりました。)その後、FM付きステレオ、オートチェンジャー付きステレオ、トランシーバー、など担当しましたが残念ながら写真がありません。